昭和49年12月18日 朝の御理解
教典を開かせて頂きましたら、御理解というあの、御という字。ね、(御の字?)を頂くんです。その事を聞いて頂こうと思います。今朝方、ちょうど2時に共励殿に出て参りました。今、女の人達が休んだ。自分達がこうやって、( )従兄弟達が2~3人でお神酒の好きな人ばっかりですから、お神酒さんを頂きながら、お通夜をしてくれておりました。
それで、私が今からあの、休んでくれと言いましたけれども、とにかく家ほど昔話に花を咲かせ、まあ、彼達にとっては叔父に当たります私の父の子供の時に、色々、その思い出話に、まっ、花を咲かせておりました。それで段々、話をさせて頂く内に、また私の話をしばらく聞いてもろうて。もう、本当に久しぶりでここに、まあ、先生の話を聞いたと言うて、まあ喜んで。その頃にはもう、酔いも冷めておりましたから、その、しばらく休んでくれと。
ちょうど、三時半になりましたから、幹三郎と直子を共励殿におかげ頂かせて。そして、従兄弟達三人を休ませました。えー、その中に色々と、あの、まっ、いわゆる私がおかげを今日頂いて来ておるという事を、また現在おかげを受けておるという事。また、今度の父のお国替えという事についての、おかげという事を、まっ、色々聞いて頂いたんです。もう、どこをどう切りましても、喜びしか出て来ない。どこをどう頂きましても、御神恩の深さ、忝さにただ感涙を模様すばかり。もう、有り難い事づくめでございます。
ここでは、一切の事を、の成り行きを大切にするという事。しかも、それに最近では、御の字をつけて、御事柄として受けて行かなければという、皆さん修行をなさっておられます。なるほど、どういう、それは問題でありましても、それは痛い思い、または苦い思いをするような事がありましても、その事も、やはり神様の御働きだ、神愛の現れだとして、それを、成り行きを尊ばせてもらう心で頂いて参ります時に、後で初めて、なるほど、あれは御神愛の現れであった、深い御神慮の他ではなかったという事が、分かって来、体験を頂いておられるのが皆さんだと思うんです。ね。
実際に、本当に御の字をつけて頂けれるという事は、私はそういう、言うならば厳しい自然の働きというか、自然の成り行きというか。そういうのに、二つに本気で取り組んで、そこから有り難いものを、または有り難い心を頂いて行こうというところに、修行があり、信心のけいこがある訳でございます。ね。ですから、もし信心のない人が見たら、それは、はあ困った事だとか、難儀な事だという事になりましょうけれども、その困った事が難儀な事だという事をです、だんだん分からせて頂けば頂くほど、いわゆる神様の自然の働きだと。
ね、いつも言うならば厳しいまでに自然との対決の中からです。その、いわば有り難いという応えを出して行く。そういうけいこをさせて頂いておるのが私共、また皆さんだと思うんです。また、合楽でここのところを疎かにし、けいこしなかったら、もう言うならば芯を無くした信心のような事になると、私は思います。ね。ところが、私はこの度、父のお国替えに合わせて頂いてです。もう、本当に御の字をつけなければおられない事ばかりだからなのでございます。ね。
もう対決といったようなものじゃなくてです。もう本当に御の字をつけなければおられない。ね。例えば、お国替えのおかげを頂きました日にちと言い、時間と言い。そのお国替えの状態と言い。ね。昨日、吉井の熊谷さんがお届けをされまして、親先生、この度の、ね、おじいちゃまのお国替えに会いまして、日頃親先生が教えておられる事を、(叙述?)に、本当にそうだ、親先生の仰る事に間違いないと思うておった思いを、また改めて一分一厘間違いのない事だという事を実感させてもろうて、有り難いと思いますというお届けがありました。
私は、全部をそのままに申し上げられませんけれども、昨日、竹内先生からあの、弔電を頂きました。それには、えー、神様に孝行なされ、親に孝行をなされ、私共の信心の手本をここに示して頂きました。私共の信心のあこがれ、それを( )に現して下さいましたという意味の事が書いてございます。ね。神に孝行をなさり、親に孝行をなされ、ね、日頃の信心をここに叙述に現して、信者、私共に教えて下さったという事を有り難いと思うという意味の事が書いてございます。
いよいよ修行もたけなわ。もうこれ以上の難儀はなかろうというところを通っております時に、父はだいたい、あんまりこの、私共に不平不足を言うた事もなかりゃ、まあ子供の時から父に叩かれたという事もないし、大きな声を出された事もない人でございましたし。まあ、私がどんな風に例えば致しておりましても、それに意向というとこでなかったんですけれども、あまりに信心が苛烈になって参りまして、いわば商売を致しません。もう、あの破れた靴を履いて、破れたカバンを下げて。そして、夏も冬もない、一張羅の洋服着て周ってる姿がですね、もう大変その順つないものに見えたらしいんです。
椛目の従兄弟が昨日、そげな事を話しておりましたが、初めて家のじっちゃんが、あの家に見えて、隣におばがおりました。父の姉に当たります。ひろと言いよりましたが、姉さん、この頃、総一郎がもうとにかく、もう信心、信心で家の事を顧みないと。だから、アンタからでも一つ信心を止めろとは言わんから、一口話してくれないかと言うて、その隣の姉に、姉であり、いわゆる父の(為に?)姉である私のおばにそうして話した時に、おばが言うておる事が。
そればってん徳しゃん、あがしこ神様、神様って言いよっとじゃから。ね。今に弦が見えるくさいち。まひと辛抱ばいと言うて、あの兄弟で話しておる事を、あの、昨日話しておりました。私は初めてそれ聞きました。そういう前後の時、事だったと思うんです。私が福岡から帰りましたら、まあ、母と父が意義を正してから、私に話があると言うんです。そして、今の事を言うんです。
信心を止めよと言わんけれども、商売をすりゃ人並みの商売が出けるアンタが、まあ本当に破れ服着て、やぶれ靴履いて歩いて回る。あんたがそういうような信心を続けるなら、もう私達もね、もうお大師さん参り、お四国さん参りでもするより他はないと言うて、涙を流しました。もう、その時分に私はその話を聞いた時に、もうそれがおかしゅうして、おかしゅうしてたまらん。いわゆる、先が分からんという事なんです。
じっちゃま、そげなもう、悔み事、泣き事言わずに御祈念、御祈念と言うて、私が御神前に出ますもんですから、両親ともやっぱり私の後ろから御祈念をする。一生懸命御祈念をさせて頂くと、御理解を頂く。その御理解を、また両親に話しますと、そんなら、もう一頑張りのというような風なところを通らせて頂いたという事が、とりもなおさず、神に孝行して親に不幸をしておった時代だと思うのです。ね。そして、んなら、今初めてです。親に孝行するのじゃない、神様が親孝行させて下さるというおかげを受けておるという事実なのです。
私が、小遣い一つあげた事もございません。揉んだり、さすったりしてやった事もありません。ただ、月の4回、お月次祭の夕食だけを一緒に両親と共に、家内と二人であちらへ参りました。夕食を取ります。もう、それが大変な喜びでした。ね。まあ、言うならば、それが形の上で、もうそれだけの事。むしろ、私共に色んな洋服ダンスをするとかというようなね、その、弟の戦死の年金を頂きますし。まあ、最近は色々お国からの色んなお金なんかも頂きます。
もう、いつもお金は沢山持ってるんです。もう、十万円ぐらい溜まるとお供えをするんです。今度も婆と二人で話しておる事が、今度十万円溜まったら、奥城の、奥城建立の費用にお供えしたいねて言うて話しておった。ちょうど、御大祭の前の日に、こう、意義を正したお初穂袋が二つあります。両親の名前で。それには今言う、奥城建立費と書いてありました。一つには、御大祭のお供えとして、その前日にお供えしております。
それが話を聞きますとね、ちょうど十万円溜まったそうです。ね、で、そん時にこう、何か数えたら、千円ばっかり足らなかったそうです。だから、婆さんお前がヘソクリば出せち言うちから、九百円婆さんが出してやったそうです。もう私はじっちゃまにアンタ、九百円出しとるけん、財布ば見たらいっちょん、はっはっは。昨日、婆がそげん言って話しました。
そして、十万円きっちりにしたのが、ちょうどの大祭の前日だった。それを、五万円ずつ、奥城(根元?)費と、御大祭の費用にお供えをさせて頂いて。自分の思いをそのまま、本当に神ながらにお繰り合わせを頂いて。御大祭の昼は、もう今日は大変なお参りげなと言うて、あの、両親とも見ておられません、おりませんでしたから。母が聞いておる事を、ただその事を( )喜んで。晩遅う、久富先生と重雄さんと挨拶にお出でられた時には、もうただ、普通にお話をしております。
ね、そして昨日からも申しますように、もう実に、実に神ながらな、ね、時間に言うならば、昨日(にっそう?)、今日、火葬祭。そして、明日の告別式という。もう一時間、例えば時間がずれておっても出来なかったというような神ながらなお繰り合わせを頂いて。私が一番最後に、もう息を引き取ろうとしておる時に、おじいちゃんきついねって言って大きな声で言うて私、手を握りましたら、こう手を握ろうと思ったんでしょう、少しこのくらい曲げました。
そして、何か口をモヤモヤさせましたから、おそらく、もし言葉が出るならお礼の言葉じゃなかったかと思う。そういうようなお国替えを頂いて、その日もひ孫達が、あの、と、はあ恵城が来た、聡子が来たと言うて、その喜んでおかげを頂いて。昨日もどなたでしたか、もうここのおじいちゃんこそ、もうそれこそ思い残す事もなかったろう、言い残す事もなかったであろうと言うて下さったんですけども、私もそう思います。ね。
とにかく、私がする、もし親孝行であったらどうでしょう。もう、どれだけしたところで、し足らなかった、はあ、あそこもああしたという事でございましょう。ところが、私の場合はです。ね。神様にさせて頂いておるおったのですから。ね、その思いがさらさらないです。ね。その事を夕べ従兄弟達に聞かせて頂いたら、信心のない従兄弟達も本当に、あの、感銘深く、もう酔いも何も冷めてしもうて。それから、ちょうど3時半に休む。そして、幹三郎と直子が今、共励殿のいわばお通夜を続けさせて頂いておる訳でございますけれども。
今日のお湿りでも本当に、天が地を清めて下さるような気がするんです。皆さん、親孝行はするもんじゃ駄目です、させて頂かなければ。竹内先生のその弔電の内容ではないですけども、親に孝行をなされ、神に孝行をなされ、親に孝行をなされて信心の手本を作って下さったという、その事実をね、私は(今?)、今日は聞いて頂いて。ですから私がね、本当に御の字をつけなければおられないでしょうが。お国替えを本当に有り難しと、御の字をつけなければおられんのです。今日は、その… ( テープ切れ )
末永信太郎 ( 9月3日 )